横浜歴史さろん

コーヒー コーヒー

お茶でも飲みながら、横浜の歴史を語り合ってみませんか?
ここは、横浜の歴史や文化について気軽にくつろいで楽しめる私たちの”さろん”です。
まずはヴァーチャルな空間で、そして、いつかあなたの顔を見ながらも…。
これからたくさんの面白い情報を載せていきます。

ペリーの記念碑アレコレ

お知らせ

★New「横浜歴史さろん」の弟妹サイト「横浜歴史さんぽ」もご覧ください!

  • トップ特集「ペリーの記念碑 ―幻と消えた横浜でのペリー像建立、すでに原型はできていた―」掲載しました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • ビデオ「開国日本と横浜 Part 5 」YouTubeにアップしました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • トップ特集「上を向いて歩こう! 電柱考古学のすすめ」掲載しました。
  • 仲間・施設ページに「古文書習得は『石の上にも三年、習うより慣れろ』―神奈川宿古文書の会」の紹介記事を掲載しました。
  • ビデオ「開国日本と横浜 Part 4 」YouTubeにアップしました。
    イベント情報(Home)を更新しました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • トップ特集「富貴楼お倉―横浜の名物女、待合政治の元祖」掲載しました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • 仲間・施設ページに「横浜郷土研究会 60年のあゆみ その2 多極化・多様化した横浜の郷土研究(後半の30年間を見る)」の紹介記事を掲載しました。
  • 「当サイト」ページにある「横浜歴史さろん」の“めざすこと”に新たな文言が加わりました。それにともない、会員制に賛助会員(有料)が創設され、その説明など関連事項の変更をしました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • 横浜歴史さろん会員の名称を有料会員→正会員、無料会員→一般会員へと変更しました。
  • 5/12コバテル先生歴史講演会「開国日本と横浜 Part 3」の録画ビデオをアップしました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • トップ特集「キリスト教諜者・安藤劉太郎のち関信三の半生 ―キリスト教信奉者・中村正直との数奇な出会い―」掲載しました。
  • 歴史すぽっとページに「ホテル・ニューグランド(中区山下町・1927年竣工・震災後の横浜繁栄のシンボル)」を掲載しました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • 仲間・施設ページに「横浜郷土研究会 60年のあゆみ その1 横浜の郷土研究の中核をなした専門家集団(前半の30年間を見る)」の紹介記事を掲載しました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • 仲間・施設ページ 「歴史仲間の予定」更新しました。
  • 歴史すぽっとページに「中華街の歴史(横浜中華街、幕末~、かつては職人の街)」を掲載しました。
  • 1月20日の講演会をYoutubeにアップしました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • トップ特集「開国日本と横浜 黒船に乗ってペリーがやって来た! その2」掲載しました。
  • 仲間・施設ページに「アカデミックでチャレンジングな『横浜黒船研究会』」の紹介記事を掲載しました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • 歴史すぽっとページに「ウィリアム・ウィリス―幕末・明治に多くの日本人を治療した英国人医師」のPart1とPart 2を掲載しました。
  • コバテル先生講演会「開国日本と横浜 Part 2」(1月20日開催)のチラシを掲載しました。
    イベント情報を更新しました。 
  • トップ特集「開国日本と横浜 黒船に乗ってペリーがやって来た! その1」掲載しました。
    イベント情報を更新しました。 
  • 9月9日の講演会をYoutubeにアップしました。
  • 仲間・施設ページに「港南に残る『古きもの』を蘇らせ、地域に貢献する港南歴史協議会」の紹介記事を掲載しました。
  • 歴史すぽっとページに「『生麦事件で夷人を斬殺した私』久木村治休述」を掲載しました。
  • 歴史すぽっとページに「コバ・テル先生 みなと横浜(Part 4) パーマーと横浜港の改修築事業 ~パーマー計画案採用の背後に外相大隈重信の決断が~」を掲載しました。
  • トップ特集「大江卓(おおえ・たく)人権擁護・人道主義に生きた人 ―明治初期の神奈川県権令時代・マリア・ルス号事件を中心に―」 掲載しました。
  • 9月9日(日)10:00よりの「コバテル先生の歴史講演会 Part1」のチラシを掲載しました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • 仲間・施設ページに「和・話・倭・輪・わっ」-金沢区生涯学習“わ”の会の紹介記事を掲載しました。
  • 歴史すぽっとページに「オランダ商人、デ・コーニングが見た幕末の横浜」を掲載しました。
  • 歴史すぽっとページ「オードリーと横浜」に【訂正】を追加しました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • イベント情報 八聖殿歴史講座追加しました。
  • イベント情報(Home)および「歴史仲間の予定」(仲間・施設)を更新しました。
  • トップ特集「明治時代に活躍した“元祖 外タレ”快楽亭ブラックの人生」 掲載しました。
  • 歴史すぽっとページに「コバ・テル先生 みなと横浜(Part 3) 明治期の横浜港の歴史を物語る「象の鼻」 ~長期間議論に終始した横浜港の改修築事業~」を掲載しました。
  • 仲間・施設ページに「“郷土とつか”を、見て、知って、楽しむ、『戸塚見知楽会』」の紹介記事を掲載しました。
    イベント情報(Home)を更新しました。
  • イベント情報(Home)および「歴史仲間の予定」(仲間・施設)を更新しました。
  • イベント情報(Home)および「歴史仲間の予定」(仲間・施設)を更新しました。
  • トップ特集「ハマのヘンテコ建築ビッグ3」 掲載しました。
  • 歴史すぽっとページに「泥亀新田」および「大熊弁玉」を掲載しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 歴史すぽっとページに「コバ・テル先生 みなと横浜(Part 2) ~横浜開港:横浜村の変貌にオールコックが驚愕、 とは言え、お粗末な港湾機能の下の荷役作業~」を掲載しました。
  • 「横浜歴史さろん」の弟妹サイト「横浜歴史さんぽ」http://sampo.yokohamasalon.link/に「レトロな鶴見線 京浜工業地帯繁栄の面影」を掲載しました。
  • 仲間・施設ページに「緑区生涯学級『横浜線ものがたり』」の紹介記事を掲載しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 歴史すぽっとページに「神奈川の由来は金川」を掲載しました。
  • トップ特集「横浜 英一番館 幕末にやって来た巨大商社 -ジャーディン・マセソン・ヒストリー、Part3-」掲載しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 歴史すぽっとページに「コバ・テル先生 みなと横浜(Part1)~開港前夜に米国人がみた横浜の風景~」を掲載しました。
  • 歴史すぽっとページに「神奈川でのヘボンの施療」と「江戸時代の刑罰」を 掲載しました。
  • イベント情報更新しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 有料会員の期間のうち、半年会員を廃止し、年会員のみに変更しました。
  • トップ特集「横浜 英一番館 幕末にやって来た巨大商社 -ジャーディン・マセソン・ヒストリー、Part2-」掲載しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 仲間・施設ページに「生麦事件参考館」の紹介記事を掲載しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 歴史すぽっとページ「コバ・テル先生のハマ歴ワンポイント」
    横浜の近代都市形成のプランナー・ブラントン(PART II) ―多才な彼は発展途上国日本には打ってつけの人材、その資質の源泉は―掲載しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 歴史すぽっとページに「吉田新田一つ目沼地の難事業‐吉田南家の没落」追加しました。
  • 仲間・施設ページに「ドラマチックな郷土史探究 鶴見歴史の会」の紹介記事を掲載しました。
  • トップ特集「横浜nbsp;英一番館 幕末にやって来た巨大商社 -ジャーディン・マセソン・ヒストリー、Part1-」掲載しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 八聖殿郷土資料館の2017年度歴史講座を掲載しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 「テル先生のハマ歴ワンポイント」始まりました!
    横浜の近代都市形成のプランナー・ブラントン(PART Ⅰ) ―彼が夢見たのは鉄道技師、しかし来日時は灯台技師―
  • 「歴史すぽっと」に6件追加しました。
    ・おもしろプレート(ワシン坂、飯田道、ラインマン)
    ・神奈川落語① 大山詣り
    ・神奈川落語② 三人旅より神奈川宿
    ・神奈川落語③ 新作落語「横浜(はま)の雪
    ・神奈川落語④ 抜け雀
      ・神奈川落語⑤ ミルラー事件関係
  • イベント情報更新しました。
  • 「昔の生活ツール」の年号対照表を見易く作り直しました。お役立てください。
  • イベント情報更新しました。
  • トップ特集「横浜と水の今昔物語」掲載しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 仲間・施設ページに「謎の八聖殿と歴史講座」の紹介記事を掲載しました。
    前回掲載の紹介記事はアーカイブページにて、ご覧になれます。
    スマホ画面でも見やすいように調整しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 会員制スタートしました。
    有料会員による会員交流広場開始しました。
  • イベント情報更新しました。
  • トップ特集「横浜歴史のブラタモリ的地形考察」掲載しました。
    仲間・施設ページに「NPO法人  神奈川区いまむかしガイドの会」の紹介記事を掲載しました。
    前回掲載の特集と紹介記事はアーカイブページにて、ご覧になれます。
  • イベント情報更新しました。
  • 歴史すぽっとページに「ホテルの歴史 in Yokohama」追加しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 歴史すぽっとページに「パンの歴史 in Yokohama」追加しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 仲間・施設ページに「神奈川歴遊クラブ」の紹介記事を掲載しました。
  • 横浜歴史さろんホームページ開始しました!

特集  ペリーの記念碑

小森 秀治

―幻と消えた横浜でのペリー像建立、すでに原型はできていた―

今回の特集は「横浜郷土研究会の50年 ―年誌と文集―」(2009.11.28発行)に掲載されていた小森秀治氏(故人)の論稿を転載させていただきました。分かりやすくするための変更として、多くの画像・見出し・引用文・注などは編集者によって加えられています。

これまでささやかに、国内より安い海外旅行をしてきたが、近年は東南アジアが多くなった。その理由の一つはペリーである。ペリーが浦賀あるいは横浜に上陸したことは、日本史の転換点の一つになったと言えると思うが、この出来事への関心から、ペリーの艦隊がアメリカのノーフォークを出航し、大西洋、インド洋を経て東南アジアヘ、そして日本に来るまでの寄港地を見てみたいという思いがあった。そこで行った順序は違うが、ペリーが通過し訪れたマラッカ・シンガポール・香港・上海を見てきた。そして今回、沖縄へ行くことができた。

沖縄のペリーの記念碑 ―「日本」の語はどこにもない―

沖縄のペリー碑
沖縄県那覇市にある記念碑(表3)
沖縄のペリー碑裏側  
碑の裏、英文側。外国人墓地にあることがわかる
沖縄のペリー碑正面碑文

ペリーが訪れた頃の沖縄は琉球王国だが、鹿児島藩の支配下にありながら、中国とも交流していたという複雑な立場にあった。しかし現在の国内で、最初にペリーが訪れたのは沖縄の那覇ということになる。
  那覇の泊港は那覇港のすぐ隣で北にある。その北岸に外人墓地があるのだが、その中で海側の、門から入って真正面にペリーの記念碑が建っている(碑の裏面は英文)。これを見るのが旅行の目的の一つだったので、カメラ片手に“非公式”に入場した。その碑文を全て紹介したいが、繁雑になるので日本文だけにする。

沖縄のペリー碑台座左面  
沖縄のペリー碑台座正面  

 この碑は沖縄の本土復帰前に建てられたためか、「日本」の語はなく、在沖でなく在琉であり、米軍関係機関の名が建立団体の中に並ぶ。建立の1964年はペルリ(オランダ語風の発音)提督上陸か111年目に当たる。本土復帰は8年後の1972年5月である。この記念碑はどういう情況の中で、どのような意図で建てられたのであろうか。
 その探究は別にするとして、最近、当会(横浜郷土研究会)でペリーの像を横浜に建ててはどうかという話が出た。そこでペリーの記念碑は国内でどこにあるのか整理してみた。それが下の表(建立順、a・b・cは参考)になるのだが、まだ他にもあるかも知れないので、ご教示いただければ幸いである。

生まれ故郷にある荘大なペリー像

まず最初に建てられたのはペリーの生地アメリカーニューポートで、没後10年目に、ペリーの娘カロラインと夫のベルモント氏により建立された(表a)。

ニューポートのペリー像
ペリーの生誕地、ニューポート市に
ある銅像。高さ約5メートル
ニューポートのペリー像台座レリーフ
ペリー提督の台座レリーフ 日本人が筆を持って「日米和親条約」に調印するシーン。
ペリー提督の足許奥に日本への贈り物の機関車が描かれている。
(写真は「ペリー提督の機密報告書 今津浩一著、2007年10月18日発行」
より転載、撮影は今津氏・現 横浜黒船研究会会長)」

編集者:このペリー像の下の台座の別の面にはペリーに深々とお辞儀をしている武士の姿、後方には垂れ幕内にいる裃を付けた武士(上級?)たち、日米の取り巻きの人々が描かれているものもある。著作権があるので掲載できないが、Commodore Matthew Perry Newport Rhode Islandで検索すると見られる。右欄(狭小画面では一番下の方)に米山梅吉による説明がある。

久里浜のペリー碑

日本で最初、久里浜の碑 ―伊藤博文が揮毫―

そして日本で最初なのが、よく知られている久里浜の碑(表1)となる。この碑については戦争末期に引き倒し、敗戦で米軍上陸となって、慌てて元通りにしたという、考えさせられるエピソードが残るが、この引き倒しの現場にいたのが川柳人の故関水華氏で、氏は「横浜文芸懇話会会報 66号」(編集者注:「ペリー上陸記念碑と浮世絵丹波コレクション」という題名で、1992.2.8発行の66号に掲載)に当時のことを書いている。 〈右欄〈狭小画面では一番下方〉に全文掲載〉

ペリー上陸記念碑 1901年(明治34年)7月14日、ペリー上陸と同じ日に除幕式がおこなわれた。碑文の「北米合衆国水師提督伯理上陸紀念碑」は、初代内閣総理大臣 伊藤博文の筆によるもの。太平洋戦争以降、日米が敵対関係となり、1945年(昭和20年)2月に碑は引き倒された。終戦後、粉砕されず残っていた碑は同年11月に復元された。(久里浜観光協会公式サイトより)碑が倒された話は別欄参照。

あまり知られていない東京の芝公園にあるペリー像

芝公園の碑文
像の裏側台座の碑文
芝公園のペリー像
芝公園内の記念碑(表2)
 表bは後にして、戦後の表2はあまり知られていない。開国100年でニューポート市から東京都に贈られた(1953年)という。近年、芝公園整備の時、芝大門近くの公園内に設置されたものか。このペリーの首像は青年の風貌で、見慣れた老齢のペリーからは想像し難い。

碑文表記「上陸」が「来航」へ

この表で気が付くのは、「ペルリ」の表記が戦後の昭和39年に建立された表3まで使われていること。またペリーの「上陸」が「来航」へと変わってきていること。表4の下田市のように艦隊来航として、個人崇拝(?)を避けたと思われる表記もあること。また、首像、胸像、立像、碑文と、形態も様々なことなどが分かる。  

横浜開港五十周年 ペリー像建設への動き ―井伊大老像を手がけた藤田文蔵による模型・塑像づくり―

ところで表bだが、これは幻の計画で実現しなかったもの。しかし横浜に関係したのであえて加えてみた。その経緯については佐藤孝氏が「開港のひろば」55号に詳しく調査報告している。

藤田によるペリー像模型

「開港のひろば 55号」4pより転載(各画像下の説明文内の数字は本文とは関係ありません)1908年10月米国大西洋艦隊歓迎会の時、会場中央に藤田製作のペリー半身塑像が置かれたという。これは、そのさい配布された英文パンフレットに掲載されたものという。

これによれば、1896年発行の『開国先登 提督彼理』で、著者の米山梅吉がペリー像建設を提唱したのがわが国では最初のようで、1900年、ペリー艦隊の元乗組員が来日したのがきっかけとなり、翌年、久里浜に建碑された。横浜では1909年の開港五十周年の前後に動きがあり、井伊大老像を手がけた彫刻家の藤田文蔵が胸像や立像の模型を作り(表b)、銅像建立の英文趣意書などを配布し運動したが実現に至らなかった。その理由としては、ペリーを日本開国の恩人と見ず、むしろ、なぜ米国官吏の銅像を建てようとするのか、と当時の政府首脳の中でも疑問視する者がいたこと。また、日米友好を深める目的もあったが、当時の日米関係は、日本移民排斥や排日運動が起きるなど悪い時期でもあった。このためついに戦前・戦中には実現しなかった。  

開港広場にある「日米和親條約調印の地」
と記された石碑(表C)

横浜には開港広場に丸い石碑があるが…

戦後になって日米関係は、占領者と被占領者の関係にもかかわらず、米国大好きの国民が多くなり、特に横浜では開国100周年が1954年に当たるため、関連行事が企画された。その中に記念碑建立があり、一つは大老井伊直弼の銅像。これは開港五十周年で掃部山に建てられたが、戦時中に金属回収で供出、戦後この機会に再建された。もう一つは表のcである。これは現在、開港広場にあるが、石製の地球儀に、当時の平沼亮三市長の筆跡で「日米和親條約調印の地」と書かれてあるだけで、ほかに建立の年月日や建立者の名は彫られていない。脇の説明板には「日米和親条約締結の地」と、調印の言葉が締結に変わっている。

ちなみに表のデータはこの時の新聞等からで、記事は同日除幕した大老像が主、調印の碑が従の扱いになっている。これは表の他の碑と違って「ペリー」も「上陸」も「来航」の文字もなく、この点、ペリーの記念碑とは言い難いものがある。ではなぜこの碑名にしたのか。決めた経緯は調べていないが、類推すれば、開港五十周年の時のごたごたが伝わっていて、ペリーの名を出さないのが賢明と判断したのではないか。それに、文字通り開国の条約を最初に調印した場所というのは、単に上陸した、国書を受領した、などと違う重みがあると考えたのではないだろうか。横浜は他とちょっと違っていたということか。しかしこのような特異な記念碑だが、市民や観光客の注目度はどうであろう。これまで制作者や建立者のことなど、詳しく書かれたものが見当たらず、広報も弱く、親しみが持てずにきたような気がするので、碑としては小振りで目立ち難いが、これからはもう少し関心を持つようにしたいと思う。

他市にあって、横浜にペリー像がない確かな理由は?

ペリーについてだが、確かに現代でも反発を抱いている人がいるようだ。平成16(2004)年4月17日、横浜市開港記念会館で、神奈川新聞や新聞博物館、横浜黒船研究会などの主催により、「ペリー提督横浜上陸・日米交流150年記念行事『ペリー来航と横浜世界史デビュー』」というシンポジウムが催されたが、その基調講演をした評論家の松本健一氏は、日本人が「開国の恩人」として阿部正弘の像を建てるのでなく、ペリーの像を建てるとは、どういうことなのか、と述べており、前年にも産経新聞に、「開国」の恩人はペリーではない、と書き、内外に波紋を広げた。
 このように歴史上の、特に他国の人物の評価は難しく、様々な見方ができる。現在、2年後の開港150周年に向かって横浜各地で催物が企画され進行しているようだが、こうして関連の記念碑を比較してみると、各地の事情や建立のいきさつの違いなど、それぞれの場所と時代を反映しており、日本の近代史や日米関係を考える上で、材料の一つになるのではないだろうか。

(この文面により、この論稿が書かれたのは開港150年(2009年)の2年前ということなので、2007年となる)

編集者より: この小森秀治氏の論稿に出会わなければ、横浜にペリーに関する像や記念碑がなく、他所には実はこれほど多くあることに気がつくこともなかっただろう。そして、歴史を振り返れば、ペリー像を横浜に建てようという動きが強力に進められ、その原型が掃部山に立っている井伊直弼像の制作者(藤田文蔵氏)によって、すでにつくられていたことも全く知らなかった。
 各所にいるペリー提督の顔はそれぞれで、似ても似つかないものもある。そんななかで、藤田氏のペリー像がもし実現していたならば、きっと本物のペリー提督に一番似ていたに違いないと思えるのだ。せっかくつくられた塑像たちは行方知れずになってしまったという。詳しくは「開港のひろば」55号「横浜にペリー銅像を!!」―未完の銅像建設計画―をお読みください。藤田氏の無念さも伝わってきます。
 不思議なことは、小笠原の「ペリー提督来航記念碑」の手前にある石に掘られた説明文の最後に、「本記念碑は、ペリー提督の来航と提督の生誕地米国ロードアイランド州ニューポート市との友好を記念して建立したものである。」としめくくられており、ニューポート市、那覇市、小笠原村、横須賀市、下田市、函館市、各市の名前と市章 が刻まれているが、日米和親条約締結の地「横浜市」がないことだった。
 藤田氏の銅像は山下公園に設置する予定だったとか、当時の時代背景や経緯がいろいろあっただろうが、「ペリー提督像」が横浜港を眺めて立っている姿を是非とも見たかった。、  

トップへ戻る