横浜歴史さろん

コーヒー コーヒー

お茶でも飲みながら、横浜の歴史を語り合ってみませんか?
ここは、横浜の歴史や文化について気軽にくつろいで楽しめる私たちの”さろん”です。
まずはヴァーチャルな空間で、そして、いつかあなたの顔を見ながらも…。
これからたくさんの面白い情報を載せていきます。

電柱考古学

お知らせ

★New「横浜歴史さろん」の弟妹サイト「横浜歴史さんぽ」もご覧ください!

  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • トップ特集「上を向いて歩こう! 電柱考古学のすすめ」掲載しました。
  • 仲間・施設ページに「古文書習得は『石の上にも三年、習うより慣れろ』―神奈川宿古文書の会」の紹介記事を掲載しました。
  • ビデオ「開国日本と横浜 Part 4 」YouTubeにアップしました。
    イベント情報(Home)を更新しました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • トップ特集「富貴楼お倉―横浜の名物女、待合政治の元祖」掲載しました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • 仲間・施設ページに「横浜郷土研究会 60年のあゆみ その2 多極化・多様化した横浜の郷土研究(後半の30年間を見る)」の紹介記事を掲載しました。
  • 「当サイト」ページにある「横浜歴史さろん」の“めざすこと”に新たな文言が加わりました。それにともない、会員制に賛助会員(有料)が創設され、その説明など関連事項の変更をしました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • 横浜歴史さろん会員の名称を有料会員→正会員、無料会員→一般会員へと変更しました。
  • 5/12コバテル先生歴史講演会「開国日本と横浜 Part 3」の録画ビデオをアップしました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • トップ特集「キリスト教諜者・安藤劉太郎のち関信三の半生 ―キリスト教信奉者・中村正直との数奇な出会い―」掲載しました。
  • 歴史すぽっとページに「ホテル・ニューグランド(中区山下町・1927年竣工・震災後の横浜繁栄のシンボル)」を掲載しました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • 仲間・施設ページに「横浜郷土研究会 60年のあゆみ その1 横浜の郷土研究の中核をなした専門家集団(前半の30年間を見る)」の紹介記事を掲載しました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • 仲間・施設ページ 「歴史仲間の予定」更新しました。
  • 歴史すぽっとページに「中華街の歴史(横浜中華街、幕末~、かつては職人の街)」を掲載しました。
  • 1月20日の講演会をYoutubeにアップしました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • トップ特集「開国日本と横浜 黒船に乗ってペリーがやって来た! その2」掲載しました。
  • 仲間・施設ページに「アカデミックでチャレンジングな『横浜黒船研究会』」の紹介記事を掲載しました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • 歴史すぽっとページに「ウィリアム・ウィリス―幕末・明治に多くの日本人を治療した英国人医師」のPart1とPart 2を掲載しました。
  • コバテル先生講演会「開国日本と横浜 Part 2」(1月20日開催)のチラシを掲載しました。
    イベント情報を更新しました。 
  • トップ特集「開国日本と横浜 黒船に乗ってペリーがやって来た! その1」掲載しました。
    イベント情報を更新しました。 
  • 9月9日の講演会をYoutubeにアップしました。
  • 仲間・施設ページに「港南に残る『古きもの』を蘇らせ、地域に貢献する港南歴史協議会」の紹介記事を掲載しました。
  • 歴史すぽっとページに「『生麦事件で夷人を斬殺した私』久木村治休述」を掲載しました。
  • 歴史すぽっとページに「コバ・テル先生 みなと横浜(Part 4) パーマーと横浜港の改修築事業 ~パーマー計画案採用の背後に外相大隈重信の決断が~」を掲載しました。
  • トップ特集「大江卓(おおえ・たく)人権擁護・人道主義に生きた人 ―明治初期の神奈川県権令時代・マリア・ルス号事件を中心に―」 掲載しました。
  • 9月9日(日)10:00よりの「コバテル先生の歴史講演会 Part1」のチラシを掲載しました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • 仲間・施設ページに「和・話・倭・輪・わっ」-金沢区生涯学習“わ”の会の紹介記事を掲載しました。
  • 歴史すぽっとページに「オランダ商人、デ・コーニングが見た幕末の横浜」を掲載しました。
  • 歴史すぽっとページ「オードリーと横浜」に【訂正】を追加しました。
  • イベント情報(Home)を更新しました。
  • イベント情報 八聖殿歴史講座追加しました。
  • イベント情報(Home)および「歴史仲間の予定」(仲間・施設)を更新しました。
  • トップ特集「明治時代に活躍した“元祖 外タレ”快楽亭ブラックの人生」 掲載しました。
  • 歴史すぽっとページに「コバ・テル先生 みなと横浜(Part 3) 明治期の横浜港の歴史を物語る「象の鼻」 ~長期間議論に終始した横浜港の改修築事業~」を掲載しました。
  • 仲間・施設ページに「“郷土とつか”を、見て、知って、楽しむ、『戸塚見知楽会』」の紹介記事を掲載しました。
    イベント情報(Home)を更新しました。
  • イベント情報(Home)および「歴史仲間の予定」(仲間・施設)を更新しました。
  • イベント情報(Home)および「歴史仲間の予定」(仲間・施設)を更新しました。
  • トップ特集「ハマのヘンテコ建築ビッグ3」 掲載しました。
  • 歴史すぽっとページに「泥亀新田」および「大熊弁玉」を掲載しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 歴史すぽっとページに「コバ・テル先生 みなと横浜(Part 2) ~横浜開港:横浜村の変貌にオールコックが驚愕、 とは言え、お粗末な港湾機能の下の荷役作業~」を掲載しました。
  • 「横浜歴史さろん」の弟妹サイト「横浜歴史さんぽ」http://sampo.yokohamasalon.link/に「レトロな鶴見線 京浜工業地帯繁栄の面影」を掲載しました。
  • 仲間・施設ページに「緑区生涯学級『横浜線ものがたり』」の紹介記事を掲載しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 歴史すぽっとページに「神奈川の由来は金川」を掲載しました。
  • トップ特集「横浜 英一番館 幕末にやって来た巨大商社 -ジャーディン・マセソン・ヒストリー、Part3-」掲載しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 歴史すぽっとページに「コバ・テル先生 みなと横浜(Part1)~開港前夜に米国人がみた横浜の風景~」を掲載しました。
  • 歴史すぽっとページに「神奈川でのヘボンの施療」と「江戸時代の刑罰」を 掲載しました。
  • イベント情報更新しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 有料会員の期間のうち、半年会員を廃止し、年会員のみに変更しました。
  • トップ特集「横浜 英一番館 幕末にやって来た巨大商社 -ジャーディン・マセソン・ヒストリー、Part2-」掲載しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 仲間・施設ページに「生麦事件参考館」の紹介記事を掲載しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 歴史すぽっとページ「コバ・テル先生のハマ歴ワンポイント」
    横浜の近代都市形成のプランナー・ブラントン(PART II) ―多才な彼は発展途上国日本には打ってつけの人材、その資質の源泉は―掲載しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 歴史すぽっとページに「吉田新田一つ目沼地の難事業‐吉田南家の没落」追加しました。
  • 仲間・施設ページに「ドラマチックな郷土史探究 鶴見歴史の会」の紹介記事を掲載しました。
  • トップ特集「横浜nbsp;英一番館 幕末にやって来た巨大商社 -ジャーディン・マセソン・ヒストリー、Part1-」掲載しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 八聖殿郷土資料館の2017年度歴史講座を掲載しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 「テル先生のハマ歴ワンポイント」始まりました!
    横浜の近代都市形成のプランナー・ブラントン(PART Ⅰ) ―彼が夢見たのは鉄道技師、しかし来日時は灯台技師―
  • 「歴史すぽっと」に6件追加しました。
    ・おもしろプレート(ワシン坂、飯田道、ラインマン)
    ・神奈川落語① 大山詣り
    ・神奈川落語② 三人旅より神奈川宿
    ・神奈川落語③ 新作落語「横浜(はま)の雪
    ・神奈川落語④ 抜け雀
      ・神奈川落語⑤ ミルラー事件関係
  • イベント情報更新しました。
  • 「昔の生活ツール」の年号対照表を見易く作り直しました。お役立てください。
  • イベント情報更新しました。
  • トップ特集「横浜と水の今昔物語」掲載しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 仲間・施設ページに「謎の八聖殿と歴史講座」の紹介記事を掲載しました。
    前回掲載の紹介記事はアーカイブページにて、ご覧になれます。
    スマホ画面でも見やすいように調整しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 会員制スタートしました。
    有料会員による会員交流広場開始しました。
  • イベント情報更新しました。
  • トップ特集「横浜歴史のブラタモリ的地形考察」掲載しました。
    仲間・施設ページに「NPO法人  神奈川区いまむかしガイドの会」の紹介記事を掲載しました。
    前回掲載の特集と紹介記事はアーカイブページにて、ご覧になれます。
  • イベント情報更新しました。
  • 歴史すぽっとページに「ホテルの歴史 in Yokohama」追加しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 歴史すぽっとページに「パンの歴史 in Yokohama」追加しました。
  • イベント情報更新しました。
  • 仲間・施設ページに「神奈川歴遊クラブ」の紹介記事を掲載しました。
  • 横浜歴史さろんホームページ開始しました!
ジャン・ヨコハマ

特集  上を向いて歩こう! 電柱考古学のすすめ

上を向いて歩こうといっても坂本九ちゃんの歌の話ではありません。電柱(デンチュウ)に古い地名のヒントが記されている場合があるので、たまには電柱を見上げて見ませんかと申し上げたいのです。

ジャン・ヨコハマ

電信柱・電力柱・共用柱について

本題に入る前に、電柱は正確には電話会社が管理する電信柱(デンシンチュウ・デンシンバシラ)と電力会社が管理する電力柱(デンリョクチュウ)とがあります。横浜では前者をNTT東日本が、後者は東京電力が管理しています。近年では、なるべく電柱を減らしたいとの観点から両社が一本の電柱を使用する共用柱(キョウヨウチュウ)が一般的になっています。(さらに最近では配線を地下化して電柱をなくし、都市の景観向上を図ることも都心部では行われています。)

トップの画像:「電力柱と電信柱の街路」と「共用柱の街路」の姿。横浜の元町本通りは「電柱のない街路」の代表ですが、隣の「元町仲通り」は電柱、電線だらけです。電柱の下部をぐっと歩道側に曲げて車道の幅を広くする工夫をしています。

送電線

Hang around① 送電の話 (ジャンさんは、この“hang around”を日本語で「道草」と言っています)

電気を各家庭に送る仕組みは、発電所からいくつかの変電所を経由して送 電線(鉄塔)で町に送られます。この間に数十万Vの電圧は6,600Vにまで下げられます。柱上変圧器で更に200Vと100Vに下げられて各家庭に供給されます。(なぜ高電圧で送電するかというと、高電圧、低電流で送電することで、送電ロスを少なくすることができます。)
 右の電柱の写真の一番上の3本平行の電線が6,600Vで、これは3相交流方式で送電されています。(3相のメリット:120度ずつ位相をずらした3本の電線で電気を送ります。終着点で3本を結ぶことで電圧を0にできます。単相ですと帰りの電線が必要なため、3相の方が電線を1本分節約できる訳です。)
 その下の柱上変圧器(トランス)で降圧して単相200Vと100Vにして各家庭に供給されます。立てに3本あるのは、真ん中の電線がアースで上下の電線間だと200V、アースとどちらか1本間が100Vということになります。(最近では家電品等の高電力化で200Vと100Vの両方が供給されることが一般的です。)

この電柱では送電線のその下にケーブルテレビ等の光ケーブルが、さらに下に電話線が敷設されています。電柱によっては、一番上部にカミナリ除けのアース線が敷設されている場合もあります。

電柱には管理用のプレートが取り付けられていますが、共用柱の場合は電柱の下側に取り付けられている会社がその電柱の管理者ということになります。電柱考古学の対象となるのは主にNTT東日本の管理プレートで、この管理プレートに古い地名などのヒントが記されている場合があります。古いといっても日本で最初に電信が行われたのが明治2(1869)年ですから、古くてもその時代に通用していた地名ということになります。NTT東日本は電柱を建てたときに決めた管理プレートの表示を、変更せずに現在まで使用しています。そのために昔の地名のヒントを確認できることがある訳です。 では実際の電柱に記されたプレートをご紹介しましょう。

鷲見坂の電柱

1.ワシン坂のワシンって?

山手のワシン坂の名前の由来については諸説あります。『日米和親条約』に因んだ、『ワシンあるいはワシントンさん』が住んでいた、『湧き清水』が訛った。(実際に現在でもワシン坂の麓で湧水が見られます。)
『鷲見坂』説の有力証拠と思われるのがNTTの管理プレートで、ワシン坂の電柱にいくつも見ることができます。いくら昔でも山手にワシは居なかったのでは、トンビじゃないのとおっしゃる方がいますが、こんな伝承があります。《吉田新田の南沼の農家の縁側に赤ん坊を寝かせておいたら、鷲にさらわれた。》

山手の坂道

ソーメン坂
手すりに何故か丸い輪がついてる
富士山
ソーメン坂から富士山が見える

Hang around② 山手の坂道

ワシン坂以外にも山手にはたくさんの気になる名前の坂道があります。陣屋坂、聖坂、見尻坂、貝殻坂、ビア坂(ビヤザケ通り)、代官坂、額坂、汐汲坂、地蔵坂、牛坂、乙女坂、美人坂、etc.(坂道の名前の由来については、またの機会としましょう。)

名前の無い坂もいくつもあります。その中で私一番のお気に入りは、私が『ソーメン坂』と命名した坂道で、天候の条件が良いと富士山から丹沢、大山の山並みが一望できます。たぶん、昔は他の坂道でも同様の景色だったのでしょう、今では道の両側の建物や塀が視界を遮っています。

(何故ソーメン坂:坂道といっても、そのほとんどが現在は階段です。その階段の手すりの大きな輪、これに樋を通して流しソーメンができそうなことからの命名です。この不自然に大きな輪は、戦後にここが小学生の通学路となった時に階段が整備されたそうです。子供達が手すりで滑って遊ばない対策としてのデザインではないかと考えられます。)

飯田町電柱

2.飯田道をご存知?

神奈川湊と小机城を結ぶ道が飯田道と呼ばれた時代がありました。また、小机城は飯田城とも呼ばれました。横浜開港後に八王子から生糸を運んだ道の一部であり、当時は神奈川道とか八王子街道、浜街道などと呼ばれました。近年では絹の道、ハマのシルクロードなどとも呼ばれています。この横浜側の起点が、現在の神奈川区神奈川1丁目付近で、ここに『飯田町』の管理プレートを見ることができます。  

牛乳電柱
常盤湯電柱

3.県団、常盤湯、牛乳って?

旭区鶴ヶ峰をブラリすると、次々と面白プレートに遭遇します。
 県団(これは東京電力のプレート)は高度成長期に建設された県営団地のことです。当時の団地は風呂付では無く、銭湯とセットだったようです。2000年代になると、県営団地や市営団地の解体や立替が始まります。これに合わせて常盤湯は廃業したようです。いまは県営団地も銭湯も無く、電柱だけが頑張っています。
 牛乳は今でも近くにタカナシの工場がありますので、説明は不要でしょう。

Hang around③ 横浜の銭湯

横浜の銭湯は昭和40(1965)年の386軒をピークに減少を続け、平成29(2017)年には70軒になってしまいました。鶴ヶ峰のある旭区には今や1軒もありません。(ここで銭湯と呼んでいるのは、各地の浴場協同組合に加盟している店のことです。都道府県毎に入浴料金が定められています。最近流行りの××温泉、××の湯などとは別です。)

Off the track④ 第二常盤湯(ジャンさんは“off the track”を日本語で「脇道」と言っています)

保土ヶ谷駅からほど近い割に判りずらい、路地の奥に知る人ぞ知る銭湯『第二常盤湯』さんが今でも頑張っています。(と書いたのですが現在は休業中でした。)鶴ヶ峰の『常盤湯』さんと関係がありそうな気がしますが、どうやら開業時に『常盤湯』としたかったが、鶴ヶ峰が先にあったので『第二』としたのが真相のようです。

尾張町電柱
加賀町電柱

4.中華街に尾張町と加賀町が

明治12(1829)年に居留地の管理が神奈川県から横浜区に移管されると、翌年に現在の山下町に小田原町や富士山町、神戸町、大阪町など30の町名が割り振られました。広い山下居留地が番地だけでは不便だというのが理由のようでした。加賀町警察署と薩摩町中区役所前バス停にその名残を確認できますが、中華街の電柱では開港道で『加賀町』と『尾張町』の管理プレートを見つけることができます。(明治27年には山手居留地にも26の町名が割り振られました。)
 なお、この町名は命名から20年後の明治32(1849)年に居留地条約が撤廃されるとともに消滅、全体が山下町となりました。

Hang around⑤ 居留地の町名

山下居留地の30町名
富士山町・神戸町・花園町・加賀町・阿波町・薩摩町・日本大通・本村通・京町・越後町・大坂町・琵琶町・前橋町・蝦夷町・駿河町・小田原町・尾張町・武蔵横町・豊後町・函館町・角町・堀川町・武蔵町・二子町・上田町・本町通・水町通・九州町・長崎町・海岸通

山手居留地の26町名
谷戸坂通・山手本町通・富士見町・内台坂・西坂町・地蔵坂・小坂町・大丸坂・撞木町・環町公園坂・西野坂・汐汲坂・高田坂・三ノ輪坂・稲荷町・南坂・貝殻坂・宮脇坂・陣屋町・諏訪町通・弓町・畑町・矢ノ根町・泉町・林町   (××まちと呼称、その他は××ちょう)

寺山町電柱
中尾電柱

5.字名(あざな)の記憶

現在の緑区寺山町の中原街道の長坂近くで『中尾』のプレートを見つけることができます。付近を探すと古くからのお宅の門柱に『港北区寺山町大字中尾谷』の表札が確認できました。ちょうど50年前の昭和44(1969)年に港北区から分区して緑区が誕生しましたので、この門柱は50年以上前に建てられたのでしょう。たぶん、字名が消滅することを知らずに。 プレートに字名を記すケースはかなり多いと思います。同じ緑区寺山町には『中原』のプレートが確認できますが、これも字名です。
また『表札考古学』も古地名調査のヒントに役立つことが判ります。

Hang around⑥ 表札考古学

青葉区の東急田園都市線の江田駅からほど近い旧家の門柱の表札には、こんな歴史が記されています。50年前に港北区から分区して緑区荏田町に、さらにその25年後には港北区と緑区が4分割されて、都筑区と青葉区が誕生しました。現在の青葉区の表札も掲げて頂けるともっと嬉しいのですが。

(それにしても東急さん、駅名を『江田』にするとは全くけしからん。)

荏田町表札
西村橋電柱
西村橋バス停

6.西村橋を捜しに!

緑区中山町に『西村橋』の管理プレートを見る事ができます。また、近くのバス停にも『西村橋』の名前があり、橋があったことが想像できます。古くからお住まいの方々にお聞きすると皆さん「橋があったよ」とおっしゃいます。では『西村』の由来は?とお聞きすると揃って「さ~?」要領を得ません。字名を調べても『西村』あるいは『西村橋』はありません。
 ここからは根拠のない全くの推論ですが、この地に電信柱を設置するにあたって管理プレートに何と記すかと考えたNTT東日本(当時は電電公社)、橋以外に何もないので『西村橋』とすることにした。橋の命名の由来も不明ですが、中山村の西端にある橋なので『西村橋』と名付けたのではないでしょうか。

S25中山駅前通り
中山駅前通り(昭和25年)
中山駅地図
中山駅周辺地図 緑の線が駅前の河道

この地は、江戸時代末期から明治時代に移るころには都筑郡中山村といい、30軒ばかりの農村で、鶴見川の支流恩田川沿いの水田と葦の茂る湿地帯でした。明治41(1908)年に横濱鉄道(現、JR横浜線)が開通すると同時に中山駅が開業します。ここから現在の緑区の中心としての中山町の発展が始まりました。とは言っても中山駅前の商店街通りは狭くて、田圃の時代の川(用水路)が流れていました。この川に西村橋が架かっていたわけです。昭和31(1956)年になってやっと、川の暗渠化と商店街の道路拡幅が実施される状況でした。現在でもこの川を横浜線の線路と商店街の間に確認することができます。

Hang around⑦ 中山の不思議?

1)中山の地名の由来・・・村の中央にこんもり盛り上がった山があった。現在もこの小山を確認することができます。

2)寺山町にあるのになぜ中山駅・・・[理由1]建設当時の中山駅周辺は湿地だったため、建設資材を台村に集め、少しずつ建設現場に運んだ。現場の資材置き場が中山で『中山行き』と表示したことから。[理由2]建設担当者が寝泊りした中山の落合邸で「駅名がまだ決まってないが、どうする?」。「ここが中山だから、中山でいいんじゃない」。

3)中山にあるのになぜ川和踏切・・・明治12(1879)に都筑郡役所が現在の川和町に開設後から、昭和47(1972)年に緑区役所が中山に移転するまで川和がこの地区の中心でした。その玄関口中山駅から川和へ向かう道路(踏切も)が、横浜線が開通すると急遽造成されました。

4)鉄道忌避伝説・・・各地にある鉄道忌避伝説(なぜ鉄道が来なかった、あるいは来たのか)横浜線にもありました。当時の中心地である川和に横浜線をなぜ通さなかったのか。よく言われているのは、地元川和が断ったというもの。騒音被害、火災不安、さらに鶴見川を二度渡る鉄橋の建設費を地元が負担する、というもの。ただ、地元が断ったとする史料が出てきません。たぶん、最初から横濱鉄道側は川和を通す気が無かったんでしょう。鉄道建設最大の目的は、八王子から横浜へ如何に最短で効率よく生糸を運ぶかだったでしょうから。

八朔電柱

7.古地名:八朔(はっさく)とは?

京都の祇園では8月1日は舞妓さんたちが、芸事のお師匠さんやお茶屋さんに挨拶廻りをする日で、この行事を八朔(はっさく)と呼ぶそうです。
 八朔はもともと8月1日(ついたちのことを朔日と呼ぶ)のことで、果物のハッサクはこの時期に収穫されることからの命名だろうと思います。
 実は私の現住所は横浜市緑区西八朔町で、家の前の電柱には『八朔』と記したプレートを見る事ができます。この町では舞妓さんがゾロゾロ歩くなんて色っぽいことは全くありません。ただ、八朔につながる地名は古く、中世からの史料に見られます。罸佐久、針圻、八佐古などです。戦国時代以降になると八朔が用いられるようになります。地域史の研究者によると鶴見川と恩田川に挟まれた地『狭間の地』が地名の由来だと言います。また、『破作=新たな開墾地』からの転訛だと考える研究者もいます。いずれにしろ、後世の人達がなんとなくお目出度そうな『八朔』の漢字を充てたようです。

結びに替えて

電柱考古学は私の造語だと思っていたのですが、ネット検索で確認してみると、既に使っている方がいらっしゃいました。しかも、その方は私の良く知っている河北直治氏でした。
 先日ご本人にお会いして「使うよ」と了解を得ています。彼は、最近『東京電柱クロニクル学会』が東京で結成され大勢の会員を集めていることにショックを受けていて、電柱考古学よりも電柱クロニクルの方がカッコイイかななんて言っていましたが、私は『電柱考古学』の方が絶対いいと思います。河北氏は『バス停考古学』も提唱されていますので、私の『表札考古学』を差し上げると申しましたが、特に喜んではいただけませんでした。

河北直治氏:横浜路上観察学会を主宰。広角的な視点で精力的に横浜の街をウオッチング。その広範豊富な知識から、会員からは師匠と呼ばれています。

路上観察学:路上観察学会を1986年設立。赤瀬川原平や南伸坊らが推進。当時のテーマは・トマソン・マンホールの蓋・張り紙観察・女子高生制服(現代ではご法度)

世の中が無電柱化の方向に向かっているとはいえ、まだまだたくさんの電柱が皆さまをお待ちしています。まずはお近くの電柱から考古学を始めてみませんか。普段何気なく暮らしていた町で、意外な歴史に巡り合うかもしれません。ただし、歩きスマホも電柱観察も十分に安全性を考えて行動しましょう。特に電柱のプレートは、歩道側ではなく車道側に取り付けられていますので、細心の注意が必要です。  -以 上-

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