横浜歴史さろん

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コバテル先生のハマ歴ワンポイント ブラントン②

コバ・テル先生イラスト

横浜の近代都市形成のプランナー・ブラントン(PART 2)

―多才な彼は発展途上国日本には打ってつけの人材、その資質の源泉は―


立ち姿のブラントン

Google英語版ウキペディア、Richard Henry Brunton (リチャード・H・ブラントン)の項には、”Father of Japanese Lighthouses”(「日本の灯台の父」)という記載があり、彼は日本の近代化に貢献した人物として英国人の間でも評価されている。また、彼は日本の沿岸各地に灯台を建設する一方、8年間にわたり活動の拠点としていた横浜では、近代的都市形成に大きな足跡を残した。

横浜居留地の入口吉田橋に、明治2(1869)年、ブラントンによりトラス方式の鉄製の橋が架設された。橋の竣工をみた1869(明治2)年11月から1874(明治7)年6月までの間、馬車1銭、人力車5厘の橋税が徴収されたので、それは日本初のターンパイク(turnpike)ということになる。

浮世絵でみるブラントンの吉田橋
浮世絵でみるブラントンの吉田橋

そのブラントンの主要業績だけでも、①横浜居留地測量(1868~70年)、②電信敷設(1869年)、③新橋・横浜間の鉄道意見書(1869年)、④吉田橋(鉄の橋)架設(1869年)、⑤居留地下水道整備・マカダム式道路舗装・街路照明計画(1869~71)、⑥水道計画(1870)、⑦築港計画(1870,73,74)、⑧新埋立居留地造成計画設計・施工(1871)、⑧中村川拡幅等設計・施工(1871)、⑨日本大通り設計・施工(1871年)、⑩修技校開校(1871年)、⑪横浜公園設計・施工(1871、72年)等々がある。この超人的な活躍には驚愕を覚える。

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