横浜歴史さろん

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神奈川の由来は金川 -『金川砂子』の謎・暗示を探る-

はじめに

 神奈川の由来については諸説あるが、いずれも決定的論拠に基づく定説がないまま現在に至っている。
 地名は単なる記号・符号ではなく、文化や歴史が刻まれている文化遺産でもある。また民俗学者・柳田国男は「人と天然の交渉をこれ以上綿密に記録しているものはない。これを利用せずして郷土の過去は説けない」とも述べている。本年三月(編集者注:この執筆/発表時は2004年)には、一名、神奈川条約とも呼ばれている日米和親条約の締結一五〇周年を迎えたのを機に、あらためて神奈川の由来について再考してみることにした。
 小稿では、諸説ある神奈川の由来の中で、『金川砂子』(下記参照)が「神奈川の由来は金川」と伝えていることを取り上げてみた。この記述部分には、その由来を裏付ける謎や暗示が隠されているように思えるからであり、それを探ってみることにした。
 なお、神奈川、金川は江戸時代の神奈川宿を中心としたその周辺地域の地名であるが、金川については川の呼称の場合もある(以下同じ)。

喜荘

金川砂子の最後で、口上を述べている
ユーモラスな煙管屋庄次郎(喜荘)

神奈川の初見

 神奈川が初めて文書に登場するのは、現存文書でみる限りでは、文永三(1266)年五月二日付け、北条時宗下文に「・・・稲目神奈河両郷・・・」(神奈川県史資料篇)として出てくるのが初見といわれている。金川については、鎌倉覚園寺文書目録中の康永元(1342)年の年紀がある「・・・金河村寄進状・・・」があるといわれている。
 その後、神奈川は、江戸時代には神奈川宿の呼称としても使われ、幕末には同宿内に外国公館などが置かれ、かつ横浜開港に重要な役割を果たした地として外国人にも知られ、明治時代になると県名にもなったという歴史があり由緒ある地名である。
 因みに、東海道五十三次中、宿場の呼称が県名になっているのは神奈川のみである。
 また神奈川の表記が定着するまでにはいろいろの表記がなされ、筆者が閲覧した神奈川宿を画題にした浮世絵28点(広重など)の地名は神奈川19点、加奈川6点、神名川2点、金川1点であった。
 余談になるが、神奈川県になる前に横浜県があった(樋口雄一「なぜ横浜県ではなく神奈川県なのか」(有隣四〇一号参照)。横浜の初見は嘉吉二(1442)年「薬師堂免田畑寄進状」である。

 

神奈川の由来を伝える著書

 神奈川の由来を伝える代表的な著書としては、江戸時代に編纂された『江戸名所図会』、『神奈川駅中図会』、『金川砂子』がある。これらの著書が神奈川の由来をどのように伝えているかをみることにする。

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