横浜歴史さろん

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よこはま歴史仲間

大都市横浜には、郷土の歴史や文化について調査・研究している団体や、自主的に勉強しているグループがたくさんあるそうです。このページでは、そうしたお仲間の紹介や利用できる有益な施設の情報などを順次提供しています。

これまでにご紹介した団体、施設等の記事は「アーカイブ」にてご覧になれます。

横浜の歴史に関係する活動を行っているユニークなグループ、利用可の知られざる施設・建物などがあれば、紹介させていただきますので、ご連絡ください。
  rekishi@yokohamasalon.link

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★紹介コーナー No.11-②

横浜郷土研究会、60年のあゆみ
その2 多極化・多様化した横浜の郷土研究(後半の30年間を見る)

今回は、横浜郷土研究会のその後の30年(1988年~現在)を追ってみることにする。
 それまでの右肩上がり一方だった日本経済は、1990年代に入りついにバブルがはじけ、少子高齢が追い討ちをかけ、財政難に陥り、戦後の日本が初めて味わう深くて長い不況の時代に突入していった。そうしたなかで市民による郷土研究はどのようになっていったのだろう。
 今回幸運にも、横浜郷土研究会の創立当初からの唯一の会員である小柴俊雄さんにお話を聞くことができました。それは大きな収穫でした。 (取材・文 渡辺登志子)

横浜の芸能、といえば小柴俊雄さん

横浜演劇史研究家 小柴俊雄氏
手前にあるのは「横浜郷土研究会の60年」

前回の「横浜郷土研究会、60年のあゆみ その1」の最後は、「確認はしていないがこの前半30年間に登場している方々は、残念ながらほとんど他界されていると思われる。」としめくくった。「横浜郷土研究会の50年」(以降、50年史とよぶ)の年表に、「小柴俊雄氏、創立50周年記念式典にて、50年在籍会員として表彰された」とあるのは承知していたが、現在どうされているのかは知らなかった。偶然にも、仲間の一人が小柴さんのお住まいと同地域と分かり、事務局の安井恵子さんの仲介を得て、インタビューに至ることができた。
 小柴俊雄さんは昭和8(1933)年生れ。平沼(横浜市西区)で育ち、子供の頃から芝居などの芸能にふれていた。現在は横浜演劇史研究家という肩書で活躍されている。毎年5月に「横浜山手へフト祭」がゲーテ座で行われるが(へフトはゲーテ座の創設者)、そのへフト祭で小柴さんは毎年講演を行っている。小柴さんによれば、ゲーテ座の「ゲーテ」の語源は、ドイツの 詩人のゲーテGoetheではなく、英語のgaiety「陽気・愉快・快活」なので「ゲーテー座」と表記するべきなのだそうだ。
 小柴さんは目鼻立ちがハッキリされていて、古い写真に写る若かりし頃はとてもハンサムで「俳優のようですね」と言ったら、なんと息子さんが歌舞伎役者になったとのこと、芸能通の父親の影響もあるかもしれない。
 横浜郷土研究会(以降、郷土研と略す)に入ったのは、神奈川県庁に勤めていた24歳頃で、神奈川新聞に郷土研の会員募集記事を見つけて、応募したそうだ。その頃、横浜が「開港100年」を迎えるにあたり、市立図書館の郷土資料室がそのための事業を考えていたからだった。当初から小柴さんの研究対象は横浜の芸能関係で、当時はそれを対象とする人は少なかった。たとえば、「美空ひばり」がまだ加藤和枝だった頃から何度か公演を見ていて、芸名が変わっていく過程などよくご存知。また、生え抜きのハマッコの歌舞伎をやっていた横浜歌舞伎座(京急黄金町駅近くにあった)の役者陣の話など、つぶさに記憶されていて、話出したら止まらなくなりそうである。最初に郷土研の会報に載せたのは「ビゴーについて」という論稿だった。(ジョルジュ・ビゴー:フランス人の画家、漫画家。明治時代の日本で、世相を伝える多くの絵を残した)一口に横浜の芸能といっても、かなり広範囲といえるだろう。
 小柴さんが持っていた記録(小柴さん制作の会の20年史)では、郷土研は昭和37(1962)年6月の総会で、会員43名だった。

多極化する郷土研究

1980年代に入ると、各区の図書館開館が進み、また地域の公共施設などで、生涯学習が推奨されるようになった。1981年には横浜開港資料館、1995年には横浜市歴史博物館、2003年には横浜都市発展記念館など、郷土研究にも寄与する大型の公共施設が開館し、市民の学習や活動の場が提供されるようになっていった。
 一方で、郷土研が活動拠点として利用していた野毛の図書館は、中央図書館として生まれ変わることになり、1990年休館、1994年に中央図書館は開館した。多分、この少し前頃から図書館長が郷土研の会長を兼任することはなくなったようである。記録を見ると、郷土研が総会や新年会を図書館で行っていたのは、80年代後半までで、それ以降は、そうした会合は市内中心部のあちこちの公的施設で開催されるようになった。
 小柴さんによれば、中田宏市長時代(在職期間2002~2009年)には、図書館(行政)からの財政支援がなくなり、これまでのようには書籍を発刊できないようになった。それはちょうど、小泉政権の頃(2001~2006年)でもあり、財政削減推進ため、「官から民へ」とか「公設民営」と唱われるようになった時代で、ほとんどの公共施設に「指定管理者制度」が導入され、大部分の職員が役人ではない民間人となったのである。

30年前の横浜学の高まり

約30年前に、「横浜学」が大いに高まっていた時代があった。直接、郷土研には関係はないが、「横浜学連絡会議」という組織がつくられ、「横浜学シンポジウム」「横浜学セミナー」が開催された。その記録をみると、シンポジウムは、1990年~2003年まで毎年末行われ、横浜に関する歴史や文化について、複数の著名人たちによる講演やトークショーなどが行われた。セミナーは、公開講座で、1991~2001年の間に100回近く行われている。シンポジウムには、一貫して横浜市立大学教授であった加藤祐三氏(1998~2002年は同大第14代学長)が登場しているところからすると、横浜市立大学が中心的役割をしていたのではないかと思われる。講師や発言者には、内田四方蔵氏(郷土史家)、生出恵哉氏(おいずるよしや、現・横浜郷土研究会会長)、前出の小柴俊雄氏など、横浜郷土研のメンバーの名前もみられる。「横浜学連絡会議」は横浜の名だたる企業(横浜銀行、崎陽軒、京急など)からも協賛を受け、2000年初頭までは、盛んに活動していたようだ。しかし高齢化のためなのか?現在活動している様子はみられない。横浜市大での「横浜学セミナー」に参加した人たちが、その後、独自にサークルをつくったという話は聞いているが、そこも中心メンバーが高齢となっている。当時、退職時60歳だった人たちは、存命していたとしても90歳前後になるのだから、無理もないのかもしれない。

20年前の生涯学習ブーム

横浜開港資料館のホームページには、横浜郷土史団体連絡協議会・加盟団体名簿(設立平成18〈2006〉年)が掲載され、約50の団体名がある。(当ページにも掲載)これらの団体の多くは、約20年前の生涯学習ブームの頃に生まれたと思われる。各区とも、「○○区区制○○周年」とか「東海道宿駅伝馬制度400周年」などの区切りを機会に、区民に呼びかけ、始めは外部から講師を呼んで郷土史の研修を行い、その後区民が自主的に活動団体を構成し運営していくパターンで、こうしたなか多くのボランティアガイドなどが育成された。これらの主目的は退職者(当時は団塊の世代を意識していた)に居住地域で活躍してもらうことにあった。この行政の取組みの成果もあり、各区において多少の違いはあっても、確実に市民(多くは年金受給の高齢者)による、それも各地域の特色を生かした郷土研究が進み、区民活動センターなどを拠点として様々な活動を展開するようになった。金沢文庫を持つ金沢区、石仏が多く残されている港南区、宿場があった戸塚区・神奈川区など、当サイトでも取り上げてきたが、それぞれの地域での郷土研究である。
 横浜郷土研究会の事務局をされている安井恵子さんも、20年余り前の平成10(1998)年に入会した。女性史を研究している仲間と3人で入った。当時は錚々たる研究者ばかりで、入会時には「あなたは何を研究されているのですか?」と聞かれた。何かを研究している人でないと入れない雰囲気だった。また、男性が8割9割のまさに男社会だったが、そのなかで内田四方蔵氏はリベラルな方で話しやすかったそうだ。そういう意味では、横浜市域全体を取り扱ってきた郷土研は、各地で生まれた新しい生涯学習グループとは一線を画す権威ある存在であった。

10年前の「YOKOHAMA郷土研セミナー」などの試み

安井さんは2000年に入ったころから、会が変わり始めたと感じたという。会員数減少、部会の統廃合・休部などもあり、部会どうしの共催が増えるようになった。
 2010(平成22)年、生出会長と安井事務局長の時代になり、新規立ち上げとして各部会を越えて、全体で行う「YOKOHAMA郷土研セミナー」が始まった。(下方に一覧表を掲載) また、2013年から「のれんが語る 横浜グルメ史」を開催、2012年と2013年には会員が本を持ち寄って「横浜本オークション」が行われた。
 これについて安井さんは次のように語った。「セミナーは会員の研究成果を発表する場として年に5回くらいしようと決め、一回に二人で、できれば男女一人ずつとしました。2016年くらいまではなかなか活発だったと思います。2017年になりますと、そろそろ会を縮小していく話が会長から出てくるようになり、急に元気がなくなった…と今思えば感じます。会を重ねるごとに、講師がいなくなり、これは会員減少とも重なります。次の講師を見つけるのが困難になってきました。2017年2月の第25回が最後です。グルメは、戦前から続く横浜の老舗をたずねて経営者等にお話を聞くことを続けたのですが、実はよく調べると純粋に戦前から続いているお店というのがあまりないということにも気が付きました。また参加者をある程度確保しなければならないこともあり、会費も限られて、あまり高級なところへは行けなかったのも続かなかった理由かと。2015年11月が最後で6回行いました。オークションに関しては、私たちはかなりの横浜に関する資料等を持っていて、それが何冊か重なっていることもあるので、そんなものを持ち寄って、オークションをしたのですが、集まる会員は限られているし、私たちの知り合いに声をかけることもずいぶんいたしましたが、思ったより売れなかった!というのが実情です。たぶんネットなどを駆使すれば評判も良かったのではないかと思います。珍しい資料を持っている会員もいますので。2回開催しただけでした。」どれも素晴らしい企画なだけに、残念なことである。

「写真が語る横浜市の130年」いき出版

これからも、それぞれに輝く

郷土研の会員数は60年前、約40名で始まり、その後増え続け、約30年後の1990年の211名がピークだった。1995年に174名となり、減少へと転じた。研究部会は1988年9月に新たに、「近現代」(生出恵哉氏〔現会長、元新聞記者〕や小柴俊雄氏、内田四方蔵氏などが中心)、2001年に「読書会」「中世」(2007年から「中近世」へ変更)が始まったものの、それまで盛んにおこなわれていた「社寺」、「古道」、「考古」などの典型的な郷土研究の部会がなくなった
 会費は1995年に4000円と改められ、その額は今日も変わらないが、今年は会費が集められていない。会員減や活動縮小は、助成金の欠如、多極化多様化する市民による郷土研究などの影響も十分考えられるが、何と言っても、会員の高齢化が原因であると、生出会長も認めていられる。50年史には110名の会員の氏名が並んでいたが、60年史では56名、約半数に激減、それもすでに数名は故人になられたという。会員減少に歯止めを掛けようと、インターネットを利用して会員を募集しようという提案もあったが、古参の会員諸氏は「ネットを使って募集なんて、変な人が入ってきたら困る」と反対多数。安井さんは言う「パソコンを使うのも私とあと一人二人で、今時会員の連絡も郵便ですから事務局の仕事ばかりが増えて大変でした。」と。また、現在の人たちは郷土研究などにも自分で取り組むというより、人が用意してくれたことに気楽に参加するだけのようで、自分たちの時代とは違う気がする、とも語った。今のところ後継者はいないので、横浜郷土研究会の幕は下り始めているのかもしれない。
 とはいっても、古文書いろは塾(古文書入門編)、古文書部会(上級編)、中近世部会、横浜歴史散歩などの各部会はそれぞれに活動が継続している。8名の運営委員たちは各々活動に励み郷土研を支えている。古文書の2部会が中央図書館で行われているのは昔の名残のようだ。また、生出氏も安井さんもこれまでの知識や経験を買われて、小柴さん同様、セミナー講師や他の会の役職などを務められている。つい最近発刊された横浜に関する大型写真誌「写真が語る横浜市の130年」(いき出版 2019年3月1日発行)などには、「監修:生出恵哉 横浜郷土研究会会長」とあるので、まだまだできるだけ続けていこう!という気概が感じられる。活動は縮小しても、これからも横浜郷土研究会は輝き続けていくのだろう。

取材者より:60年間も存続し続けてきた横浜郷土研究会も移り行く時代のなかでその役割を十分果たし、会全体としては小さくなり身軽になった。しかし、現会員の皆様はそれぞれの立場で、郷土研で培った力を活かして輝いている。こういうことを“発展的解消”というそうだ。
 郷土研が発行した会報は115号にのぼる。その一部を拝読させていただいたが、どれも本当に面白くて勉強になるものばかり。なかでも私が興味をひかれたのは、小森秀治氏(故人)が書かれた「ペリーの記念碑」で、小森氏はペリーの寄港地を来訪し、ペリーに関する記念碑を訪ね歩かれ、ペリーの記念碑の一覧表をつくられた。日本にはペリーの記念碑が7か所あるが、横浜にはない。郷土研で、一時ペリー提督記念碑を横浜に建てる運動が検討されたようだが、立ち消えとなった。ペリーの像や記念碑が、他所にあって横浜にないなんて不思議なことだ、と気づかされた。郷土研の会報には貴重な論稿がたくさんあるので、この小森氏のも含めて、順次、当サイトの「歴史すぽっと」に掲載させていただこうと考えています。

  • YOKOHAMA郷土研セミナー
    • 第1回(2010.3.21)横浜の旗本(小松郁夫)、近代横浜の女性たち(安井恵子)
    • 第2回(2010.5.23)行き交う人々(岩永正夫)、横浜中華街と薬膳(山口雄三)
    • 第3回(2010.7.25)野毛の街が生んだスター・美空ひばりと横浜国際劇場(小柴俊雄)、鶴見の七福神誕生(松沢常男)
    • 第4回(2010.10.8)横浜と映画(丸岡澄夫)、明治初年の横浜名所案内(生出恵哉)
    • 第5回(2011.1.27)みなとみらい21ア・ラ・カルト(酒井君代)、元町今昔(杉島和三郎)
    • 第6回(2011.5.27)山手の丘の物語(島田昌子)、いまだから語る・飛鳥田市長論(鳴海正泰)
    • 第7回(2011.8.15)私の8月15日(小野静枝)
    • 第8回(2011.11.8)金沢にもあった避病院(井深増雄)、吉田町あれこれ(4代目に聞く)(高橋ヒデ子)
    • 第9回(2012.2.15)横浜ゆかりの歌人山下陸奥(塩野崎宏)、地域住民組織の由来と現状(福島勉)
    • 第10回(2012.5.18)A級戦犯東条英機ら七士の遺骨について(池田健雄)、西川千代と西川楽器店(中積治子)
    • 第11回(2012.7.20) 節用集はおもしろい(田中朋子)、品川県と品川ビール(木村昭太郎)
    • 第12回(2012.9.20)タウンゼントハリスの史跡を訪ねて(山崎宣晴)、八景根元の地・能見堂について―近世の出版物と能見堂の終焉(飯塚玲子)
    • 第13回(2012.11.14)世界一の茶碗を買った横浜商人(生出恵哉)、庄内地方について(磯貝友康)
    • 第14回(2013.3.15)古書古文書の楽しさ(塩田進)、トンネルの上の貴公子―間坂トンネルと東伏見邦英伯(葛城峻)
    • 第15回(2013.6.11)花月園ものがたり(斉藤美枝)、鎌倉事件の真犯人は?(正山尭)
    • 第16回(2013.8.7)満州移民と横浜につくられた大陸花嫁養成所(安井恵子)、東海道分間延絵図を読むー市場村・鶴見村(松沢常男)
    • 第17回(2013.10.11)満州唱歌と唱歌の満州―日本の唱歌との比較に於いて(藤川琢馬)
    • 第18回(2013.12.5)私の古文書修業は廻船問屋から(間杉鉄彦)
    • 第19回(2014.3.12)江戸のアニメ・仕掛け絵について(生出恵哉)
    • 第20回(2014.7.10)ジョセフ・ヒコ「海外新聞」横浜で誕生150年(小柴俊雄)、かながわのヒロインたち(安井恵子)
    • 第21回(2014.11.13)犬山城をめぐる攻防(桐山有節)、武州金沢藩について(小松郁夫)
    • 第22回(2015.3.20)ミャンマー旅行記(安井恵子)、旅中日記について(田中朋子)
    • 第23回(2015.12.1)三菱重工横浜の過去・現在(杉島和三郎)、横浜矯風会で活躍した女性(安井恵子)
    • 第24回(2016.5.17)白峯造船所の話(皆川真理子)
    • 第25回(2017.2.15)武州金沢江戸時代の商人―金沢藩御用達長島家に残された文書(飯塚玲子)、金沢区最古の地図にみる金沢(生出恵哉)

 

  • のれんが語る 横浜グルメ史
    • 第1回(2013.5.23)寿司処・若松
    • 第2回(2013.7.12)金沢園
    • 第3回(2014.2.6)伊勢佐木町 荒井屋
    • 第4回(2014.7.25)麦田 奇珍
    • 第5回(2015.1.26)野毛 センターグリル
    • 第6回(2015.11.18)元町 レストラン美松

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