横浜歴史さろん

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よこはま歴史仲間

大都市横浜には、郷土の歴史や文化について調査・研究している団体や、自主的に勉強しているグループがたくさんあるそうです。このページでは、そうしたお仲間の紹介や利用できる有益な施設の情報などを順次提供しています。

これまでにご紹介した団体、施設等の記事は「アーカイブ」にてご覧になれます。

横浜の歴史に関係する活動を行っているユニークなグループ、利用可の知られざる施設・建物などがあれば、紹介させていただきますので、ご連絡ください。
  rekishi@yokohamasalon.link

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★紹介コーナー No.12

古文書習得は「石の上にも三年、習うより慣れろ」―神奈川宿古文書の会

年齢を重ねて来ると、昔のことが知りたくなる。ところが日本語であっても活字化されていても、昔の文章は殆ど読めない、分からない。現代の日本人は、戦前まで書かれていた日本の文章を読む技術を教えられていないのである。昔、特に興味のある幕末・維新期の文章を読めるようになりたい、との思いから2年余り前に古文書の勉強会に入会した。今回は日頃からお世話になっている「神奈川宿古文書の会」をご紹介します。 (渡辺登志子)

「神奈川宿石井本陣文書を読む」講座から始まった

神奈川宿古文書の会は、平成7(1995)年9月30日、神奈川区役所主催の「神奈川宿石井本陣文書を読む」講座(神奈川地区センターにて、講師は神奈川県立公文書館の小松郁夫先生)の参加者たちによって始まった。「古文書は面白い、もっと神奈川宿のことを知りたいので古文書の勉強会ができないものか」との声があがり、27名の参加希望者があり、小松先生にご指導をお願いし、当初は「神奈川宿古文書を読む会」として発足したという。同年10月14日に第1回の勉強会が開催された。しかし、3、4回目となると「やはり難しいから」と辞める人が出て、その後大体17名前後で続行してきたそうだ。
 現在の会員数は13名で、勉強会は神奈川区の老人福祉センターうらしま荘で、毎月第2第4土曜日午後1時半から4時半くらいまで行われている。発足時から会長を務められてきた多田義雄氏は高齢となり体調不良との理由から、最近会長を辞任され、現在は特に会長をたてることなく活動が行われている。

神奈川宿と神奈川宿の文書

東海道五十三次のひとつ神奈川宿。この地名が県の名前や区の名前の由来であるし、またここが、近代都市横浜の母体でもあった。しかし、関東大震災と第二次世界大戦によって、歴史的遺産の多くを失ったため、地元の人でさえ、東海道がどこを通り、宿場町の様子がどのようであったかを知る人は少ない。(以上、神奈川区役所発行「神奈川宿歴史の道」より引用)

神奈川宿神奈川本陣(=石井本陣)「金川砂子」(平田本)

 神奈川宿には本陣が二つあった神奈川本陣と青木本陣。本陣とは、江戸時代、大名・公家・公用の武士が、宿所とした宿駅の公認旅館をいう。滝の川に架かる東海道の橋を挟んで東西の対照的な位置にあった。神奈川宿の観光案内とも言える文政7(1824)年に出された煙管亭喜荘(煙管屋庄次郎〈きせるやしょうじろう〉)の「金川砂子」(かながわすなご)にはその本陣の様子が描かれていて、絵の面白さのせいか、それを見ていると当時の様子を愉快な気分で想像できる。東の本陣は名主・石井源左衛門(いしいげんざえもん・代々の当主名)の家、西の本陣は名主・鈴木源太左衛門(すずきげんたざえもん)の家であった。したがって両家には御用留(ごようどめ)をはじめ、各大名の休泊帳、年貢皆済目録、検地帳などの各種の書上げ、その他いわゆる地方文書(じかたもんじょ)が残されている、と考えられる。石井本陣に関するものは、子孫から多数神奈川県立公文書館に寄贈され、保管されている。しかし神奈川宿の西半分、特に廻船問屋の集中していた青木町に関する古文書が今のところ全く発見されていない。中世以来、湊の機能の集中していた青木町のことが紐解けなければ、神奈川宿の歴史・文化の半分は抜け落ちてしまう。鈴木本陣で記録された古文書に関しては、今のところ何の手掛かりもない。ゆえに、神奈川宿の歴史は、言わば「片肺」なのだという。どこかで関連資料でもよいから見つからないものか、と切に願っている。
 両本陣とも今は跡形もなく、ただ広い幹線道路の歩道の一角に小さなガイドパネルが立てられているだけ、「この辺りに本陣があったのか…」と思いをはせるばかりである。

神奈川宿青木本陣(=鈴木本陣)「金川砂子」(平田本)

会報はすばらしかった

神奈川宿古文書の会では、発足3年を経た1998年12月から「神奈川宿古文書の会会報」を年3,4回発行するようになった。会報の前半は主に本陣名主・石井家の「御用留」、「大名休泊控」、私文書である日記類などの解読文(釈文・しゃくもん)が掲載され、後半には会員による研究発表が多く載せられた。貨幣の話、飯盛女(めしもりおんな)の話、江戸時代の刑罰、解読した「亜墨利加乗船筆記」についての探求など、かなり高度と思われる内容も多い。また、表紙には毎号「金川砂子」からの絵を約半ページの大きさで掲載し、その絵の詳しい解説、また絵の中に書かれている和歌・俳句や漢詩などの説明も施されている。これは、それなりの知識と研究心がないと書けるものではない。「当時はすごい人が沢山いた。皆とても熱心だった。」そうだ。今では考えられないスピードで古文書を読み解き、ワープロで活字化し、会報に掲載していたという。しかし、残念ながら会報は2014年12月の第49号以降休刊となっている。発足当初からの会員たちが高齢となり去って行き、書き手が減ったからだと思うが、何といっても痛手だったのは、古文書の知識が豊富で、日本の詩歌に造詣が深く、かつ編集を一手に引き受けてスーパーマン的活躍をされていた渡辺留雄氏が病没されたことにあったようだ。

A4判、総60ページ

「神奈川宿本陣名主調べ」を発行

最近(2019年8月)、「神奈川宿本陣名主調べ」という冊子が発行された。発行:神奈川宿古文書の会、発行主:藤原千鶴子、編集・制作は、私、渡辺登志子(tama企画代表)であり、会の許可を得ていることから神奈川宿古文書の会の発行であるが、会員の藤原千鶴子氏の自費出版である。本冊子は神奈川宿古文書の会にて長年にわたり中心となって神奈川宿の名主について調べて来られた藤原氏及び多田義雄会長の調査研究の集大成としてまとめられたものだ。これまで発行された会報の中から主に本陣名主(つながりのある名主も登場)に関する論考を取りまとめたもので、その内容の理解を助けるために神奈川宿の昔と今の地図、神奈川宿の概要、また石井家、鈴木家の家系図、墓所の写真、挿絵として「金川砂子」の絵などを掲載している。既存のものに加え、紛失して未掲載だったがこの度見つかった論稿ならびに、新たに書かれたものも掲載している。(頒価:500円)

藤原氏は石井家とそれ以前の本陣名主であった内海家の関係を調べようと、石井家の墓所(慶雲寺)の墓石に刻まれた碑文を書き写すことから始めたという。そうした中、子孫の方々が現われ、また同じように調査研究されていた人とも出会ったことなどもあり、多くのことが解明された。そうした地道な探求から、石井家の系図も作り上げられていった。青木本陣の鈴木家に関しては子孫の方から、過去帳や由緒書き、昔の墓所図などの提供があったことから、家系図が作成できている。これらの人間関係から、当時の名主の家の実態が浮かび上がってきた。名主は身分は百姓であっても、家の格とかレベルの維持のためなのか、名主同士でしか姻戚関係を結ばないようだ。また、「家を守る」ことが何より大事、そのため個人の自由意志とか選択とかはないに等しかった、という当時の身分制度下で生きる人々の生活が透けて見えるのである。(ご興味のある方は、お譲りしますのでご連絡ください。)

古文書の行方

古文書およびその勉強については、会報の創刊号で語った多田義雄会長の言葉がある。「古文書類は民族的文化遺産とも言える極めて価値の高いものでありながら、その保存・利用は考古遺物や民具等のそれに比べ遅れているのが現状です。これは、先人が日常的に使っていた文字を読める人が非常に少なくなっているからではないでしょうか。私たちが地道に勉強を続けていくことが、貴重な古文書類を散逸や破損等から守ることにもなり、かつ保存運動の一助になるのではと思っています。」

古文書は日本語ではあるが、それなりに勉強しないと読めない。くずし字辞典を丹念に引き、ある程度時間を掛ければ、だんだんと読めるようになり、絵や記号のようだったものが、文字として見えるようになる、そうなるとけっこう楽しくなる。「石の上にも三年、習うより慣れろ」であろう。
 古文書に未来はあるかと言えば、このままでは普及することはなく絶滅危惧種に近いかもしれない。けれども、誰かがどこかで、必ず続けているだろう。何しろ、昔生きていた日本人の生活を知ることができる貴重な資料であるのは間違いないからだ。細々でも受け継がれていくに違いないと思う。

神奈川宿古文書の会が現在読んでいるのは「五人組前書」と「諸色覚帳」(石井順孝日記)、それ以前は「金川砂子(平田本)」、「横浜開港見聞誌」、浦島太郎関連などである。古文書を始めてみたいという方は、神奈川区の老人福祉センターうらしま荘で毎月第2第4土曜日午後1時半からやっているので、遠慮なくお越しください。まずは一度体験してみてはいかがでしょうか。

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