横浜歴史さろん

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よこはま歴史仲間

大都市横浜には、郷土の歴史や文化について調査・研究している団体や、自主的に勉強しているグループがたくさんあるそうです。このページでは、そうしたお仲間の紹介や利用できる有益な施設の情報などを順次提供しています。

これまでにご紹介した団体、施設等の記事は「アーカイブ」にてご覧になれます。

横浜の歴史に関係する活動を行っているユニークなグループ、利用可の知られざる施設・建物などがあれば、紹介させていただきますので、ご連絡ください。
  rekishi@yokohamasalon.link

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★紹介コーナー No.9

港南に残る「古きもの」を蘇らせ、地域に貢献する港南歴史協議会

NPO港南歴史協議会は平成25〔2013〕年に、歴史の伝承で地域に貢献したとのことで「第6回横浜・人・まち・デザイン賞」の「地域まちづくり部門」で受賞している。上大岡駅の目の前にある24階建ての「ゆめおおおかオフィスタワー」の5階にある港南区民活動支援センターの会議室にて、事務局の茅野眞一さんと他2名の理事の方にお話を伺いました。
 港南歴史協議会の会についてふれる前に、横浜市の港南区域についてお話してもらいました。(取材・文 渡辺登志子)

とても興味深い港南区の歴史

旗

港南区は昔の地名で言うと、東側が武蔵国久良岐(くらき)郡(10村)で、西側が相模国鎌倉郡(4村)だった。横浜市へは、久良岐郡が昭和2(1927)年、鎌倉郡が昭和11(1936)年に編入された。始めは、なんと中区であった昭和18(1943)年、南区誕生の際にともに南区へ編入され、そしてこの地域で昭和44(1969)年、港南区の誕生となった。中心部の中区へは距離的には数キロメートルと近いものの、戦前は、鉄道は京浜急行(昭和5〔1930〕年、湘南電鉄、上大岡駅開業〔その後、京浜急行に〕)だけ、市電は弘明寺(ぐみょうじ)までだった。道路は南北を走る鎌倉街道だけで、東西幹線道路はなかった。高低差も激しい土地柄で、交通の便は良くなかった。市立中学(現在の高校にあたる)は一校もなかった。反面、市営の大規模墓地(昭和8〔1933〕年)、横浜刑務所(昭和11〔1936〕年)、県立結核療養所(昭和17〔1942〕年、2008年廃止)といった重要だけれどもマイナスイメージの施設が置かれた地域だった。戦後、昭和28(1953)年、最戸(さいど)に県の靖国神社といわれる「神奈川県戦没者慰霊堂」が建設された。

戦災に会わなかった港南区域、刑務所に水洗トイレ

横浜刑務所は以前は根岸村(現、磯子区)にあったが、関東大震災で倒壊し、その後、港南区の笹下(ささげ)に昭和11年に新たに建てられた。この刑務所誘致は、ふつうなら嫌がられそうだが、当時の農民たちからは、人(囚人)が増えて肥やしとなる人糞が得られるからと歓迎されたそうだ。ところが、この刑務所のトイレは当時としてはとても珍しく水洗トイレだったので、農民たちの当てが外れてしまったとのことである。

建設当時既に水洗トイレだったので、ここには外国人が収容されていた。外国人がいると知られていたせいで、この地域は米軍機の爆撃を受けなかった。それ故に、多くの古いものが焼失せずに残された。「こうなん」の地は古くは鎌倉に近く、「かまくら古道」が南から「武相国境」を越して北へと通っていた。従って、道標「石仏」も多く、「まちの生い立ち」郷土史を研究する人たちからすれば、たくさんのお宝に恵まれ、大変幸せなことに違いない。

ふるさと港南の魅力を、「知る」・「伝える」・「調べる・残す」

講座受講者

「久良岐郡発祥の地を歩く」安房州神社址の説明会

港南歴史協議会はこれまで多くの、書籍出版、講座・講演会の開催、歴史散策などを実施してきた。 始まりは古く港南区制10周年の記念誌編集に当り1975年発足の「港南の歴史研究会」だったそうだ。当初、港南の歴史を勉強していた10くらいの市民グループがそれぞれに活動していたが、横浜市政が郷土史事業を市政から放して以降、その代表者たちが集まり、2007年に相互の情報連絡を目的として会をつくった。40年余りの時の流れの中で、会の名称を「港南歴史協議会」とし、会の活動、構成メンバー(個人、団体とも)などが少しずつに変容していった。

特に、近年は長年勉強してきて、郷土史の中でもそれぞれの分野で専門家になるほどの熱心な会員が中核となり、本や地図の制作・発行に取り組んできた。一例をあげれば、「わがまち港南の石仏たち」、「こうなんの風土記」「港南の昔ばなし」「こうなんの歴史アルバム」、「港南区小字(こあざ)地図」など。書籍にするほどの知識の蓄積で専門家と認められるようになり、郷土史関係の講座の講師を務める者も多くいるそうだ。これらは書店販売をするのではなく、地元での地域活動団体として2011年にNPO団体として、認められた。

きっかけは小学校にあった昔の写真

港南歴史協議会が大きく飛躍したきっかけは、明治期に創設された4つの小学校に保管されていた貴重な写真を掘り起こして活用したことからだったという。写真は段ボール箱に詰められ、何十年も眠っていた。それらを一枚一枚スキャナーで取り込み、デジタル化し、一冊にまとめたものが「こうなんの歴史アルバム」となり、2010年に発行した。「古いものを見つけても、それをどう残し、どう活用するかが問題」と、写真のデジタル化に取り組んできた茅野さんは言う。それらの古写真は本だけでなく,スライドショーとして、老人福祉施設などで毎月のように上映されており、お年寄りの記憶の蘇りに効果があることなどから、福祉支援団体としても認められるようになった

港南図書館との協働による歴史講座も10年ほど前から毎年行われており、息の長い活動が続けられている。依頼があれば郷土史出前講座も自治会、小学校、ケアプラザ、タウンカフェなどで行っている。

横浜スカーフの捺染業の地

「港南区の産業で有名なものはなんですか?」と尋ねたところ、「捺染(なっせん)」とのこと。捺染については知らなかったが「横浜スカーフ」は聞いたことがある。かつては大量のスカーフ(始めはハンカチだったそうだ)が横浜から輸出されていた。何色もの鮮やかな模様を布に染める仕事が捺染である。港に近く、大岡川の水を利用できる港南区には、この仕事に携わる業者が多くいたそうだ。安価な外国製品に押されて今では下火になっているが、捺染は今なお受け継がれているし、郷土史としても残されている。「捺染業」は地域に家内分業を育てたという。港南は更に「ヨコハマ焼き」等の窯業や養鶏業の発祥の地でもある。

港南の歴史を繋いでいくために、新たな方針で取り組む

戦前は人もまばらな港南区域だったが、現在、人口は21万人余り。港南区発足頃の昭和45〔1970〕年の統計では10万人くらいだったから40年間で2倍以上となった。昭和47〔1972〕年に市営地下鉄の上大岡駅が開業、昭和48〔1973〕年にJR根岸線の港南台駅ができ、1970年代から高速道路の横浜横須賀道路そして東西幹線道路(環状2号線、環状3号線)も通るようになった。交通網が次々と拡大して便利になり、宅地の大規模開発が進み、団地がいくつもできたので、人口は増え続けたが、平成2〔1990〕年をピークにやや減少傾向にある。

NPO港南歴史協議会が今年2018年に定めた活動方針では、これまでの専門家集団という普通の人からは敷居の高い存在から、裾野を広げて多くの区民が参加できるようにすることとした。今回、港南の歴史を知ってもらおうと企画した講座「こうなんの歴史探訪」(6/30~来年2/23まで9回、座学と街歩きがミックス)で募集したところ、定員30名のところ120名も応募があったそうだ。

港南区発足50周年を迎えるに当り、港南区発足当時以降にこの地に住まわれるようになられた人々も高齢化を迎え、「この地の生い立ちを知り、街を愛する人たち」を育てて、郷土の歴史を後世へ伝えていく活動を継続し、発展させていきたいそうだ。

詳しくは港南歴史協議会のホームページをご覧ください。会員募集もしています。
https://www19.atwiki.jp/konanrekishi/

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