横浜歴史さろん

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オードリーと横浜  (1970年代、オードリー・ヘップバーンは横浜を訪れたのか?)

「ローマの休日」(1953)、「ティファニーで朝食を」(1961)、「マイ・フェア・レディ」(1964)などなど多くの代表作を持つ女優、オードリー・ヘップバーンは横浜に来たのだろうか? 1983年3月に、ジバンシーのファッションショー関係で来日し、二人の息子を連れて奈良ホテルに泊まったということは確かだ。詳細は不明だが、1987年に再来日、1990年に、3度目の来日、その折りには、「オードリー・ヘップバーンの庭園紀行」(DVD-BOX)の撮影で来日した。ビデオの中では、フランス、イギリス、イタリア、オランダ、スペインなどと共に日本の庭園が7カ所紹介されており、春~夏に京都で撮影したという。

オードリーには異父兄が2人いた。オードリーの母エラは、オランダ貴族ヘームストラ男爵家の出身で、前夫、クォレス・バナフォード氏との間にいたのは、アーノード・ロバートと、イアン・エドガー・ブルースである。次兄にあたるイアン氏は、横浜にあったライジングサン(現、昭和シェル)石油で支社長をしていた。筆者の亡父は、1953年にシェル石油に入社した時、新人研修として鎌倉山の別荘を借り切り、英語だけの生活をしたそうだが、そのプログラムの責任者が、イアン氏だったと聞いたことがある。

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