横浜歴史さろん

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オランダ商人、デ・コーニングが見た幕末の横浜

1859年7月1日に横浜が開港したとき、三井や中居屋重兵衛などの有力商人を幕府が優遇してわずか数カ月のうちに建てられた日本人町は、それなりの体裁をなしていたが、のちに居留地となる東側半分にはまだ麦畑が広がっていた。当初、幕府は運上所と条約国の領事用に数棟の建物だけを建て、商人は沖合に停泊する船に寝泊まりするものと考えていたようだ。

〔〕幕末横浜オランダ商人見聞録」 

そんな横浜に、開港後まもない9月初めにやってきたオランダ商人、デ・コーニングが1879年に書いた本がこのたび邦訳出版され、『幕末横浜オランダ商人見聞録』(河出書房新社)として出版された。原書はオランダ語だが、2012年にアメリカの研究者がその2巻分のみを英訳し、同時代の史料と付け合わせて詳細な解説を書いてくれたために、祖先探しから幕末の横浜史を研究していた私の目に留まり、幸運にも出版企画が通って私が翻訳し、このたび日本でも刊行の運びとなった。
 本書には、ジャーディン・マセソン商会のケズィック、ショイヤー夫妻、ポルスブルック蘭領事、シモンズ医師、そしておそらくはモス事件のモスなど、横浜の歴史の有名人が登場するほか、ワンダラー号のキング船長、時計商人のペルゴ、あるいはデ・コーニングのパートナーであったカルスト船長、サッスーン商会のエルムストンなど、これまであまり知られていなかった人びとも生き生きと描かれている。

玉蘭斎の「御開港横浜大絵図二編 外国人住宅図」には、本書に登場する人びとの名が多数見つかる。居留地25番にいたデ・コーニングは、この絵図によると「蘭七」であり、中居屋重兵衛が没落するきっかけとなった大量の生糸を倉庫にもっていたその人と思われる。絵図にかなり大きな屋敷と家畜のいる庭が描かれているが、現在、ここにあるインペリアルビルのオーナーによると、敷地内から豚の骨が出土したことがあるという。ちなみにインペリアルビルは、戦後、マッカーサーの護衛将校用に接収されたことで知られる1930年築の歴史的建造物だ。

外国人住宅図

「御開港横浜大絵図二編 外国人住宅図」神奈川県立歴史博物館HPより

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