横浜歴史さろん

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生麦事件  (鶴見区生麦、1862年(文久2年)、リチャードソン 1833-1862)

1862年9月14日(文久2年8月21日)日曜日、英国人チャールズ・レノックス・リチャードソンは英国人3名と乗馬で川崎大師を目指して、東海道を進んでいました。生麦で島津久光(薩摩藩主の父)の大名行列と遭遇し行列に入り込んでしまい、藩士に切りつけられ700mほど引き返したところで落馬し絶命しました。

リチャードソンは上海で貿易商を営んでいましたが、ある程度の富をなしたので、日本で休暇を取ってから英国に帰国する予定でした。他の3名は横浜の生糸商人ウイリアム・マーシャル(1827-1873)、マーシャルの義理の妹で、香港在住イギリス商人の妻、マーガレット・ワトソン・ボロデール(1834-1870)、横浜のハード商会勤務のウッドソープ・チャールズ・クラーク(1834-1867)でした。マーシャルは日本に遊びに来ているボロデール夫人のため乗馬での遠出を計画し、友人のクラークを誘いました。またその計画を知った他の友人からリチャードソンを一緒に連れて行ってほしいと頼まれました。リチャードソンは船の故障で帰国が延びてしまったのでした。

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